リトグラフ画家であり、絵本、童話、エッセイの分野で活躍した佐野洋子さんの本「神も仏もありませぬ」ちくま文庫 という本を、リハビリに通っている城西病院の書棚で見つけた。
「神も仏も無いものか」なら知っている。それは神仏を信じている心から来た言葉であろう。 ありませぬとは、何と申したらよいのであろう。神仏には頼らぬ覚悟をいうのであろうか。
読んでみる。 彼女は六十代半ばのば~さんになったのを自覚している。物忘れがひどくなる「あれ、あれ」「あの人、あの人」と日に五十回は言うようになる。飼っている猫も老衰して丸顔が四角になったのを眺め、自分も顔もそうなっているのを見つけ愕然とする「私もう顔が四角い。頬っぺたの肉は首の方へずり落ちている。昔は不器量を確認したくなくて鏡を見なかった。今は原型の破壊を確かめたくてギイッと見る。あー、不器量がなんぼのものだったのだろう。知、知、知らない間に、いや知ってはいたが、こ、こん、こんなになっちゃうのか」生物の宿命は自然の営みであり、その様に宇宙は成り立っている「人が年取るのは何の不思議もないの」彼女は分かっているのである。
それは誰でもわかっている。でも彼女は「ウツソー」 ペテンにかかったんじゃないか、と自然の営みに反旗を翻す。そして九十過ぎたら「もういいって思う」ものだと考えるのだが、九十七才の友達の母親が「洋子さん、私もう充分生きたわ、いつお迎えが来てもいい。でも今日でなくてもいいといったっけ」そういうものであろう。生への執着は人に与えられた神仏からの試練であろう。
彼女の猫は癌になり余命一週間を宣告され泰然と死の床につく。 老いる猫を毎日見ていた彼女は「私はこの小さな畜生に劣る。この小さな生き物の、生き物の宿命である死をそのまま受け入れている目にひるんだ。その静寂さの前に恥じた。私だったらわめいてうめいて、その苦痛を呪うに違いなかった。
私は猫のようにフツーに死にたいと思った」 フツーに死ぬ、それが出来れば、死を聞かされても「そうかね」とフツーの声で言える。 それが佐野洋子さんの理想だった。
彼女はこの本を書いた歳、乳がんの手術をうける。 余命二年を宣告されるも活動をやめなかった「今日でなくていい」「死ぬきまんまん」など好エッセイを書き続けた。 骨に転移した。大腿骨の痛みは死ぬほどだったが、其処からがすごい。ジャガーを乗り回し、外国にも行く。そして六年後七十二才でフツーに亡くなった。 神も仏もありませぬ 彼女にとりその言葉は「フツー」と同義語だったようだ。
読み終わって、「私には到底できないな、オロオロし、病を呪い、家族に当たり散らすだろうな」と自分の弱さを恥じるだけだった。 フツウに生きる。それは何か突き抜けるもの、覚悟、信念、そういったものを会得した人に与えられる栄光なのだ。
後で知ったのだが、佐野洋子は荻窪の住人だった時期があった。文章に「教会通り」とか「青梅街道」とか知っている地名がでてきて、もしかしたらすれ違ったかもしれない。
それと、この本がリハビリ室に置いてある訳も何となくわかった。 リハビリの辛さとか、老い先の不安とかをぶっとばしてくれる「聖書」だった。
佐野洋子の絵本「100万回生きた猫」は1977年10月20日第1刷発行 2012年8月20日第105刷発行となった。 文章のおわりは白い用紙の真ん中にただ「ねこは もう、けっして 生きかえりませんでした」とあった。
2025.12 荻窪にて 森 義信
寄稿 森 義信さん(8期)神も仏もありませぬ
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